プロフィール

個人セッション風景

オーナー近影

普段はスイッチを切っています。基本はスイッチを入れた時に一瞬で視えてきます。オーラに映る場合は目で見ます。目の前の方のエネルギーを集中して読んでいきます。


プロフィール

どうして会社勤めから精神世界へ入ったか? サイキックミディアムの私。。。
一言で言うと、必死にもがいてみたんです。すると不思議なことが起こりはじめました。

実は今でこそ、こんな顔をしていますが、沢山の苦労と大変な思いをしてきました。

親無しで10歳まで生きる、実父からのDVあり、実の叔母からのネグレクト経験8年あり、ベニヤ板一枚のボロアパ貧乏8年在り、冷たい金持ちくらしの経験8年あり、10年間のストーカーあり、酒乱による暴力あり、宗教による村八分や考えさせられることあり、差別や偏見、その他のつらい心の苦労が血縁者から、いろいろありました。本当によくぞ生きてきました、私って凄い!!(笑)

その度見えない力やエネルギー体など、魂レベルでご縁のある方に愛を受け、助けられ、今ではそれらの経験があったからこそ幸せを選べるようになったと思います。

初めて自殺をしようと遺書を書いたのは幼稚園の時、そして自分の腕よりも長い大きな包丁でお腹に突き付けるポーズをとると、上からある言葉を貰おうとすると、言葉が降りてきました。未来に対する良い言葉でした。
私は、すんなりと「そっかあ」と思いその時はとどまりました。
それからも何度も死にたいやら、風になりたいやら、心の苦しみの辛さを痛感しておりました。

思春期になってからも苦労や苦難は手を変え品を変えやってきました。
血の縁よりも他人さまのほうがずっと良くしてくれました。でも今は分かります。

家族には学びがあり、肉の年齢と魂の年齢は違うのです。
私は小学校時代寂しい顔のまま育ちました。5年生で「人生論」なんて文庫本を読んでいたくらい変な子でした。

私は死ぬ勇気を生きる勇気に変えて、必死にもがき、自分で出来ることは努力してきました。

情けないこともいくつもありました。学校の写真は、笑顔の無い悲しそうなものが残っています。

大人の理不尽さや、すさまじい経験は幾度となくありました。そのたび驚いたり、悲しんだり、呆然と立ちすくむことは、あったけれど、一度も人を恨んだり憎んだりはしてきませんでした。(少なくとも今までは(笑))

社会人になって間もなく、8年間一緒に暮らした父が他界し、私は喪主となりました。遺骨を持ったまま指をさされつつ電車やバスを乗り継ぎ一人暮らしのボロアパートへ帰りました。
火葬場に沢山来ていた金持ちの親戚からの御香典の一枚もなく、葬儀屋の人からもらった、ロウソク立てやお線香立てが有難かったのを覚えています。
沢山の親戚はある宗教をしていました。私と父は親戚中が入っている宗教をしていなかったので、残された私は声もかけてもらえず、
結果的に天涯孤独となってしまいました。21歳の時です。

実は今思うとなんですが小さいころから不思議なことはいろいろあったように思います。

例えば何だかピンクの光が見えて、小1の私は思わず「幸せになりますように」とその光に手を合わせました。
すると、25年後そこには鳥居が立って奥に祠がお祀りされていました。
大人になった私が「ありがとうございました」と報告すると、誰かが何かが凄く喜んでくれて、
私はなぜだか一緒に喜びと感謝の涙があふれました。見えない何かが私をフォローしてくれていたんですね。

一人暮らしも落ち着いた頃の出来事では、東大の小柴昌俊博士がニュートリノを大きな水槽(カミオカンデ)を使って発見したというニュースがテレビで放送されていたのを何の気なしに見ていました。

物理学なんて大の苦手で興味も知識も無い私でしたが、なぜだかニュートリノという素粒子の発見が、嬉しくて嬉しくてたまらなくて、テレビの前で手をたたいて喜んでしまったんです。

「これで人々は真実を知り社会はもっと良くなる」そんな様な思いでした。

でも、嬉しいと思って、手をたたいて喜ぶ自分を、冷静に「私おかしいんじゃない?何でこんなに嬉しいのだろう?」と不思議に思っていました。潜在意識から来る感情の行動と、顕在意識の冷静さで感じました。(それが20年後に繋がるんです)

会社勤めでは、何故か毎回心が息苦しくなり、自分探しが始まりました。

私は働きながら、通信大学に通っていたので、そこでの人生の先輩にいろいろ聞いてみました。世代の幅もあり、そこでもいろいろ参考にもなりました。
恥も外聞もなく必死で本を読みあさり、とある大学の先生が主催の自己啓発で少しスピリチュアルの入ったワークショップにも行たことがあります。
そこで出会った人は、経理をしていて定年まじかの男性でした。彼に自分らしく生きる道を探していると相談すると「もがいてみるんだよ、なりふるかまわず、もがいてみるんだよ、それが一番いいよ」と言ってくださったのを覚えています。風の便りで聞いたのですが彼はのちに本を書いて出版できたそうです。人生楽しんでいて何よりです。


ある有名企業に勤めている先輩の彼は当時、中間管理職でした
「何でも自己満足なんだよ!人生なんて自己満足!」と彼がいっていたのが印象的でした。

彼はものすごく勉強家で努力家、お人柄も勤めて温和な方でした。
私個人は凄く納得いったのですが、昨今の企業戦士は他者の評価待ちをしているさなかなので、彼からそんな言葉を聞くこと自体が私には意外でした。
でもスピリチュアル的には全ては自分との向き合いという点で、芯をついていると思いました。

そして私は恥も外聞もすてて、ほんとに興味のあるスピリチュアルな世界を勉強することを選びました。ずっと生きる意味を探していたのかもしれません。

今は分かります。子供のころからの経験や辛い思いが、全てプラスになって使えることが出来ているのです。(皆さんもそうです)

理不尽なこと許せないことはあったけど、あの時の苦労や困難が今、必要なカードの様に、人を視させていただくときに使えたりしています。

あのニュートリノのニュースから20年以上たって素粒子発見の事なんてすっかり忘れていましたが、今この活動をするにあたって素粒子は大事な糸口であると判りました。

そしてそれに気付けと言わんばかりに、本屋の棚から興味のない本が落ちて来たんです。
分厚くて高い本、何気に「買えってことかな」と思って思い切って買ってみると、霊的エネルギーの入り方出方が書いてありました。それはオーラの分析本でした。それも二人の方が、オーラを各臓器までも一つ一つコンセンサスを取りながら書いていった本でした。

人生は何が起こるか分からない。まさか私がこういう仕事を一生していこうと思っているなんて。。子供のころの私には、夢にも思わなかったことです。
ちなみに最初はうちの旦那様も世間と同じ様で、今の仕事をすることに猛反対でした。
とある折りに主人をセッションでみさせてもらったら、一言、「仕事初めていいよ」と言ってくれました。

このセッション(守護霊などが入った会話)はやってみないと分からないものなんですね。こわいものではありません。

人生に気付きを与え、最高最善のご自身の成長を送るべく、自分で自分を向上させるためのものです。主人公はご自身です。

そして依存や、コントロールも無しです。皆さんの人生は皆さまのものですから。

私は導管となって真摯に伝え、後はご自身で選び、歩まれます。

でもこの仕事と向き合う前の自分と比べると、本当に今は違っています。あなたも自分で自分を知らず知らずのうちに肉体的にも精神的にも苦しい毎日をかし、追いつめて、その結果、周りの人も追いつめたりしてしまう、そんな毎日はやめて、あるがままの自分を今よりも受入れ、好きになってみてはいかがでしょうか?

誰しも生きているという事は、完璧ではなく、自分の魂(心)の学びのために生まれてきています。

そして私も、例外なく心をもまれながら「今、この人生」を生きています。
経歴 
2010年10月に初めてスピリチュアルリーディングでイベントに出展する。
2012年秋号、2013年秋号で癒しフェア出展の記事が雑誌「トリニティー」で紹介
2012年~2019年毎年、東京ビックサイトの癒しフェアに出展している
2014年ブームの真相掲載 7月スターピープル投稿掲載
2015年3月個人事業としてスタート
2016年6月FM79.2ゲスト出演  ←ここをクリックすると聞けます
2018年9月『自分らしく生きるための「自分軸」のつくりかた』同年8月にはほぼ完売(現在は私のところに少しあり)
2018年11月 個人事業名「ルーシーソングマイセルフ」に移行手続きによる変更
2019年11月 釧路のイベントにて3日で96人ミニセッションする
2020年から2022年までは癒しフェアの出展をお休みしました。onlineで講座。
2022年 講座アウェアネスはじめました。
2023年 ステージアップという、オーダーメイドの内容でセッション作りました。

なぜその名前?
ルーシーLucyという名前は、ラテン語で[luc]が「光」という意味や、サンスクリット語で[RISI]と発音し「仙人」という意味で、5歳のころ夢の中で金縛りにあい、助けてくれたのが、スキンヘッドで白くて長いあごひげをたくわえた、木製の長い杖を持った老人だった。
後に分かるのだが、私の指導霊の一人に仙人のような格好の方がいて彼もまたスピリチュアルな仕事を支えてくれている。 直接話すとユーモアのある自分の考えをはっきりと持った方だった。
ソングは、合唱が好きで、年末に第九を歌ったり、歌劇の歌を歌ったりする。 佐渡裕氏の指揮でシエナウインドオーケストラと一緒に東京芸術劇場で歌ったり、秋山和慶氏の指揮で東京交響楽団と一緒に歌った、幸せな経験あり。2015年はある教会で「メサイヤ(救世主)」や、川崎シンフォニーホールで「第九」を歌った。(今は小さい子供がいるので歌は休止中)
その後、個人事業名を「ルーシーソングマイセルフ」に変更したのは、ルーシーソングのところに行くと自分自身と向き合うという意味を込めました。
そして出来たら志を同じくする方と異業種でも肩を並べて歩んでいきたいと思っています。
因みに、子供の里親活動も10年以上しています。 大の犬好きでもあります。

ルーシーソングの生い立ちは 最初親の顔も知らずに育ち、5歳で自殺をはかるも守護霊(指導霊)の言葉で思いとどまる。7歳ごろお寺のうらで石の横にピンクの光が視え、幸せになれますようにと祈るが、後にそこに神社が立った。廃仏毀釈で無くなっていた、神社が復活したのだった。金持ちと極貧を経験。21歳で天涯孤独、感覚も敏感で人の気持ちを必要以上に感じ取り、生き辛く、やっと出来た赤ちゃんもお腹の中で死んでしまったり、親などからのDVや、親戚宅8年間ネグレクト、酒乱からの暴力、10年越しのストーカー、宗教しているのに冷たい親戚、大人の八つ当たり、妬みなどいろいろあって、ずっと生きるのがつらかったけど、今は5歳の時降りてきた言葉の通り、結婚し、生まれなかったけど天からのメッセージどおり子供も出来、主人の興した小さな会社も健在で今に至ります。更に経理や里親とルーシーソングという職業をやっています。玉ねぎの皮をむく様に、日々是精進で日々私なりに現世を一生懸命生きています。
 

座右の銘

棺桶に入った時に、「ああ、良い人生だったな」と思うことです(笑)


教室イメージ

使用教材教室風景使用楽器