プロフィール

個人セッション風景

オーナー近影

普段はスイッチを切っています。基本はスイッチを入れた時に一瞬で視えてきます。目を開けると余計な情報が入るので一瞬こうします。オーラに映る場合は目で見ます。こんな風に目の前の方のエネルギーを集中して読んでいきます。


プロフィール

どうして会社勤めから精神世界へ入ったか?
一言で言うと、必死にもがいてみたんです。すると不思議なことが起こりはじめました。

実は今でこそこんな顔をしていますが、沢山の苦労と大変な思いをしてきました。

初めて自殺をしようと遺書を書いたのは幼稚園の時、そして自分の腕よりも長い大きな包丁でお腹に突き付けるポーズをとると、上からある言葉が降りてきました。未来に対する言葉でした。私は、すんなりと「そっかあ」と思いその時はとどまりました。
それからも何度も死にたいやら、風になりたいやら、心の苦しみの辛さを痛感しておりました。

思春期になってからも苦労や苦難は手を変え品を変えやってきました。
血の縁よりも他人さまのほうがずっと良くしてくれました。でも今は分かります。家族には学びがあり、肉の年齢と魂の年齢は違うのです。
私は小学校時代寂しい顔のまま育ちました。5年生で「人生論」なんて文庫本を読んでいたくらい変な子でした。

私は死ぬ勇気を生きる勇気に変えて、必死にもがき、出来ることは努力してきました。
情けないこともいくつもありました。
大人の理不尽さや、すさまじい経験は幾度となくありました。そのたび驚いたり、悲しんだり、呆然と立ちすくむことは、あったけれど、一度も人を恨んだり憎んだりはしてきませんでした。(少なくとも今までは(笑))

社会人になって間もなく、8年間一緒に暮らした父が他界し私は喪主となりました。
沢山の親戚はある宗教をしていました。私と父は親戚中が入っている宗教をしていなかったので、残された私は声もかけてもらえず結果的に天涯孤独となってしまいました。21歳の時です。

実は今思うとなんですが小さいころから不思議なことはいろいろあったように思います。
一人暮らしも落ち着いた頃、東大の小柴昌俊博士がニュートリノを大きな水槽(カミオカンデ)を使って発見したというニュースがテレビで放送されていたのを何の気なしに見ていました。

物理学なんて大の苦手で興味も知識も無い私でしたが、なぜだかニュートリノという素粒子の発見が、嬉しくて嬉しくてたまらなくて、テレビの前で手をたたいて喜んでしまったんです。
「これで人々は真実を知り社会はもっと良くなる」そんな様な思いでした。
でも、嬉しいと思って、手をたたいて喜ぶ自分を、冷静に「私おかしいんじゃない?何でこんなに嬉しいのだろう?」と不思議に思っていました。潜在意識から来る感情の行動と、顕在意識の冷静さで感じました。(20年後に繋がるんです)

会社勤めでは何故か毎回心が息苦しくなり、自分探しが始まりました。
そして人生の先輩にいろいろ聞いてみました。
恥も外聞もなく必死で本を読みあさり、自己啓発で少しスピリチュアルの入ったワークショップにも行って見ました。
そこで出会った人は、経理をしていて定年まじかの男性でした。彼に自分らしく生きる道を探していると相談すると「もがいてみるんだよ、なりふるかまわず、もがいてみるんだよ、それが一番いいよ」と言ってくださったのを覚えています。風の便りで聞いたのですが彼はのちに本を書いて出版できたそうです。人生楽しんでいて何よりです。

私は働きながら大学に行きました。通信教育課程でしたので、世代の幅もあり、そこでもいろいろ参考にもなりました。
ある有名企業に勤めている彼は当時、中間管理職でした
「何でも自己満足なんだよ!人生なんて自己満足!」
と彼がいっていたのが印象的でした。
彼はものすごく勉強家で努力家、お人柄も勤めて温和な方でした。
私個人は凄く納得いったのですが、昨今の企業戦士は他者の評価待ちをしている中なので、彼からそんな言葉を聞くこと自体が私には意外だったのです。
でもスピリチュアル的には全ては自分との向き合いという点で、芯をついていると思いました。

そして私は恥も外聞もすてて、ほんとに興味のあるスピリチュアルな世界を勉強することを選びました。ずっと生きる意味を探していたのかもしれません。

今は分かります。子供のころからの経験や辛い思いが、全てプラスになって使えることが出来ているのです。(あなたもそうなります)

理不尽なこと許せないことはあったけど、あの時の苦労や困難が今、必要なカードの様に、人を視させていただくときに使えたりしています。

あのニュースから20年以上たって素粒子発見の事なんてすっかり忘れていましたが、今この活動をするにあたって素粒子は大事な糸口であると判りました。

そしてそれに気付けと言わんばかりに、本屋の棚から興味のない本が落ちて来たんです。
分厚くて高い本、何気に「買えってことかな」と思って思い切って買ってみると、霊的エネルギーの入り方出方が書いてありました。それはオーラの分析本でした。それも二人の方が、オーラを各臓器までも一つ一つコンセンサスを取りながら書いていった本でした。

人生は何が起こるか分からない。まさか私がこういう仕事を一生していこうと思っている何て。。子供のころの私は、夢にも思わなかったことです。
ちなみに最初はうちの旦那様も世間と同じ様に猛反対でした。とある折りに主人をみさせてもらった時に、一言、「仕事初めていいよ」と言ってくれました。

このセッション(会話)はやってみないと分からないものなんですね。こわいものではありません。人生に気付きを与え、最高最善の人生を送るべく、自分で自分を向上させるためのるものです。主人公はご自身です。
そして依存や、コントロールも無しです。皆さんの人生は皆さまのものですから。
私は導管となって真摯に伝え、後はご自身で選び、歩まれます。

誰しも生きているという事は、多かれ少なかれ完璧ではなく、自分の魂(心)の学びのために生まれてきています。
そして私も、例外なく心をもまれながら「今、この人生」を生きています。
経歴 
2010年10月に初めてスピリチュアルリーディングでイベントに出展する。
2012年秋号、2013年秋号で癒しフェア出展の記事が雑誌「トリニティー」で紹介2012年より毎年、東京ビックサイトの癒しフェアに出展している
2014年ブームの真相掲載 7月スターピープル投稿掲載
2015年3月個人事業としてスタート
2016年6月FM79.2ゲスト出演
2018年9月『自分らしく生きるための「自分軸」のつくりかた』同年8月にはほぼ完売(現在は私のところに少しありますのでお求めください)
2018年11月 個人事業名「ルーシーソングマイセルフ」に移行手続きによる変更
なぜその名前?
ルーシーLucyという名前は、ラテン語で[luc]が「光」という意味や、サンスクリット語で[RISI]と発音し「仙人」という意味で、5歳のころ夢の中で金縛りにあい、助けてくれたのが、スキンヘッドで白くて長いあごひげをたくわえた、木製の長い杖を持った老人だった。
後に分かるのだが、私の指導霊の一人に仙人のような格好の方がいて彼もまたスピリチュアルな仕事を支えてくれている。 直接話すとユーモアのある自分の考えをはっきりと持った方だった。
ソングは、合唱が好きで、年末に第九を歌ったり、歌劇の歌を歌ったりする。 佐渡裕氏の指揮でシエナウインドオーケストラと一緒に東京芸術劇場で歌ったり、秋山和慶氏の指揮で東京交響楽団と一緒に歌った、幸せな経験あり。2015年はある教会で「メサイヤ(救世主)」や、川崎シンフォニーホールで「第九」を歌った。(今は小さい子供がいるので歌は休止中)
その後、個人事業名を「ルーシーソングマイセルフ」に変更したのは、ルーシーソングのところに行くと自分自身と向き合うという意味を込めました。
そして出来たら志を同じくする方と異業種でも肩を並べて歩んでいきたいと思っています。
因みに、子供の里親活動も10年以上している。 そして大の犬好きでもある。

 
 

座右の銘

棺桶に入った時に、「ああ、良い人生だったな」と思うことです(笑)


教室イメージ

使用教材教室風景使用楽器